第32話 スターライト

2000年
おとん「はぁ、歌手になりたいやと? 急にどないした? 狂犬病でも患うたか?」
テヨン「違うねん。今日な、音楽の授業でBoAゆう子のビデオ観てな(キラキラ)」
おとん「むぅ…(いつも荒んだ色をしとったテテの瞳が、こんなに輝いとる)」
テヨン「なぁなぁ、頼むわ。ウチを芸能養成スクールに通わせてや(ゆさゆさ)。アクターズスクールでええさかい」
おとん「アホか、自分を沖縄に通わせるほどうちは裕福ちゃうわ」
テヨン「そやけど、全州でそれらしいもんゆうたらカラオケ教室くらしかないやん」
おとん「それはそうやな」
テヨン「そんなとこ通ったら、ウチ、トロット歌手になってまうわ。なぁ一回BoAのMV観てみてや。そしたらウチのなりたい姿がわかるさかい」
おとん「いや、BoAのことはよお知っとる。ワシ、ファンクラブの会員番号ひと桁やし」
テヨン「(ぴゃー)マジで?」
おとん「そんなことより歌手になりたいゆう言葉、努々ウソやないな? 歌手なんてそう簡単になれるもんちゃうぞ」
テヨン「そんなこと判ってるわ。そやけど、BoAのMV観たとき、全身に電流みたいなんが走って、ウチの心の奥の何かが目覚めたように思えたんや。ああ、ウチが目指すべき世界はこれなんやって。
  今までこんな経験したことあらへん。歌手になるて思うたら、今までやって来たこと全部アホらしく思えて来て…もう南海組も隣の校区との抗争もどうでもよくなってん」
おとん「自分を慕っとる子分どもを切り捨てるんか?」
テヨン「う…仕方あらへん。あいつらかていずれ自分で自分の道を決めるときが来る訳やし、それは本人の問題や。
  そんで、歌手になるゆう決断は、今ウチがウチの責任で選んだことや! 奴らに恨まれても陰口たたかれても後悔はせん」
おとん「テテ…(血は争えんとはこのことか)」
ゆらり
テヨン「おとん…?」
おとん「自分の覚悟、よお判ったわ。ほんならこれからワシがゆうことは、誰にも喋らんと約束出来るか?」
テヨン「(な、なんや? おとんの顔つきが変わった)も、もちろんや」
おとん「ついて来ぃ(すたすた)」
テヨン「お、おとん」

カチ…ぶぅうううーん
テヨン「店の事務室の奥に、か、隠し部屋?」
おとん「(つかつか)さぁ入り」
テヨン「う、うん(てぽてぽ)…あ、こ、これは、ドラムにギターにキーボード! おとんの正体って?」
おとん「バットマンちゃうよ」
テヨン「そんなことわかっとるわい」
おとん「ワシは週末ごとに、今でもここで歌の練習をしとるんや。
  これはテテには初めて話すことやけど、ワシは若い頃ロックバンドをやっておってな。後にイカ天に出たマルコシアス・バンプと同じステージで演ったこともあったんやで」
テヨン「イカ天? マルコ…?(ぽかーん)」
おとん「わっかるっかなぁ? わっからねえだろうなぁ(ずびずばー)」
テヨン「ますます意味不明やわ。そんでおとんはどのパートやったん?」
おとん「もちろんヴォーカルや。人呼んでマリリン紋次郎!(バーン)」
テヨン「ひえーっ、まさか」
おとん「なにがまさかや。自分のその歌唱力、まさか神さまから授かったなんて思うてる訳やないやろな。それこそ自分がワシの娘ゆう何よりの証、DNAのなせる技や!」
テヨン「(がーん)ウ、ウチがおとんの娘(よろよろ)」
おとん「そうゆうところでショック受けるなよ。泣いちゃうぞ」
テヨン「あまりに寝耳に水の話やったんで、つい(えへへ)」
おとん「ワシはもうちょっとでプロになるはずやった。それがワシの夢でもあった。
  そやけど、そんな矢先におかんに出会うて恋に落ちたんや。そう、『ラブレイン』のソ・イナとキム・ユニの様に!」
テヨン「また訳のわからんことを」
おとん「『ラブレイン』と違うのは、ワシらは実際に結婚し幸せな家庭を築いたことや」
テヨン「幸せなん? 喧嘩ばっかりしてるけど」
おとん「まぁ子どもには判らんか。ただ、幸せすぎてジウンと自分が立て続けに生まれ、ワシは家族を食わせるために、おじいの店を継ぐことになった。歌手になる夢はあきらめなきゃあかんかったんや」
テヨン「へー」
おとん「スカウトに来たイ・スマンさんは、ワシの手を握りしめて泣いたよ。”もうこれからマリリン紋次郎ほどのロックスターに出会える気がせん。実に惜しい”と」
テヨン「話、盛ってへん?」
おとん「盛ってへんわ、200%真実や!
  まぁそれから12年、ワシはすっかり眼鏡屋の親父になってもうた。そやけど、歌手になる夢は未だにワシの心の中でくすぶり続けていたんじゃ」
テヨン「まさか、まだ歌手になるつもりじゃ…?」
おとん「そのつもりやったけど、一昨年ハヨンも生まれたし、さすがにあきらめかけておったんや。そこに持って来て、今日の出来事や。
  まさか喧嘩に明け暮れてたテテが歌手になる言い出すなんて思うてもおらんかった。
  自分が更生し、ワシに代わって夢を叶えてくれるのなら、このキム・ジョング、どんな協力でもしよう」
テヨン「おとん、それじゃ!(喜)」
おとん「自分はおかんによお似てるさかいまさかと思うとったけど、歌に関してはちゃんとワシの血を受け継いどったんやなぁ。ワシは嬉しい。これからはワシのことをビッグ・ダディと呼ぶように」
テヨン「じゃあビッグ・ダディ、芸能スクールに行かせてくれるんやね?」
おとん「問題はそこや。テテがゆうとおり、この街には全州芸術高校を除けばロクな養成機関がない。光州にはあるかもしれんが」
テヨン「バッタ食うような奴らはいやや」
おとん「そんならソウルしかないけど、まだ小学生の自分をひとり暮らしさせる訳にもいかん。なにより自分が歌手になれるほどの器かどうか、それが判らん」
テヨン「ウチは多分世界一歌が上手い小学5年生やと思うよ」
おとん「その辺がな、まだまだ井の中の蛙ってことや。
  そこでキム・テヨン、しばらくは試験期間とし、大リーグ歌手養成マイクで練習を積むがよい」
テヨン「大リーグ歌手養成マイク?」
おとん「これや!(じゃーん)」
テヨン「そ、それはマイクカラオケ!」
おとん「さよう。同時発音数64音の音源チップを新たに搭載して音質が飛躍的に良くなった1000曲内蔵カラオケ”ゴールデンハッピー”くんや。
  数々の歌唱力アップ機能満載でプロを目指すあなたにもぴったりの商品です。おかんに怒られないよう、防音マイクミュートもつけてやろう」
テヨン「これで練習せえってこと?」
おとん「採点機能もついてるさかい、上達具合がすぐ判る。これで1000曲全て歌いこなし、どの曲も95点以上採れるようになったら、養成スクールの件考えてやろう」
テヨン「独学で? そんなん何年もかかるがな」
おとん「ほなあきらめるか? 自分の覚悟は口先ばかりやったんか?」
テヨン「う…」
おとん「本気を見せるんや、キム・テヨン。この程度の試練も超えられんようなら、プロの歌手なんて夢のまた夢やぞ」
テヨン「わ、わかった。必ず大リーグ歌手養成マイク”ゴールデンハッピー”くん、克服してみせる!」


2003年
ドワン「なるほど…」
おとん「それから1年足らずで、娘は全曲98点以上を獲得しまして」
ドワン「すごいですな。プロでもそんな点数はなかなか採れませんよ」
おとん「えへへ(喜)。今すぐ『挑戦1000曲』に出ても優勝出来ます」
ドワン「そやけど、そんなら何故その時点でうちに連れてこなかったんです?」
おとん「実は嫁の奴が強硬に反対してまして、説得するのに1年以上かかりました」
ドワン「はぁはぁ。お母さんとしては、やはり娘には平凡な人生を送って欲しいんでしょう」
おとん「いえ、概ね金の件で」
ドワン「(ズコ)そ、そうですか」
おとん「あと”あんな変な声の子が歌手になれるはずがない”とか」
ドワン「娘さん、そんな変な声を?」
おとん「小さいときは確かにユニークな声をしてましたけど、今では割と普通に」
ドワン「普通ねぇ…プロになるなら多少ユニークな方が売りになりますよ」
おとん「そやけど、力も繊細さも十分あると思うんです。嫌味がない声ってことで」
ドワン「ふーん。まぁええでしょう。ですが、当スターライトアカデミーの入学条件は厳しいですよ」
おとん「判ってます。是非一度娘の歌を聴いてください。そんで、先生が聴いてあかん思うたら、遠慮なく失格にして欲しいんです」
ドワン「はぁ? 急に自信なくなりましたな」
おとん「いやいや、ワシは正直、娘は世界一上手い子供やと思うてます。そやけど、それは親の贔屓目かもしれんし、どだい客観的に見るのは不可能ですから。
  娘がなりたいのはあくまでもBoAのような歌手です。その可能性がないんやったら、早いうちに諦めさせた方がええでしょう?」
ドワン「なるほど、しっかりしたご意見ですね。ではともかく、娘さんの歌を聴いてみましょう」
おとん「へえ。(がちゃ)テテや、入って来なさい」
テヨン「あい(ててて)」
ドワン「わっ!(ぶっさいくなガキやなぁ。チビだし…ウチのパグそっくりや。歌以前にルックスで失格になるんちゃうか?)」
テヨン「キム・テヨンと申します(ぺこりん)。よろしゅうお願いします、先生様」
ドワン「ああ、はいはい。さっそくやけど、なにか得意な歌を歌うてみてください」
テヨン「ほんなら、クォン・ヨンウクさんの『帰去来辞』を…」
ドワン「(ズルッ)トロット?」
テヨン「♪うぉ〜、うぉ〜、うぉ〜、うぉ〜…
  はんむる あ〜れ たんぎっこ くうぃえん ねが いすっりぃ」 ←全州訛り丸出し
ドワン「…!、こ、これは!」
おとん「(どきどき)い、いかがですか?」
ドワン「そ、そうですね。トロットではちょっと判断がむずかしいゆうか。…お嬢はん、ポップスは歌えへんの?」
テヨン「歌えます。なら、すかんちで『恋のマジックポーション』を」
ドワン「(こけっ)両極端な子やな」
テヨン「♪一目会ったとたんに 恋してしまったはじ〜めて〜
  せつない せつない せつない せつない 気〜持ち〜(うおぉぉぉぉ!)」
ドワン「こ、これはすごい(ドワーン!)」
パチパチパチ
おとん「おおっ、先生が思わず拍手を(喜)」
テヨン「…はぁはぁ。いかがでしょう?」
ドワン「素晴らしい! まるで80年代を流星のように駆け抜けたグラムロックのあだ花、マリリン紋次郎のような歌声や」
おとん「ぴくん」
テヨン「あはは、それはそうですわ。だって、ウチはマリリン紋次郎の…」
おとん「テテ、余計なことはゆわんでええ。ここは自分の本当の力を観て貰うんや」
テヨン「う、うん」
ドワン「は? …ああっ! あ、あなたはまさか?(メイクしてへんしすっかりおっちゃんになってるけど、この顔は…)」
おとん「先生、娘は可能性がありますか? プロになれるでしょうか?」
ドワン「…マ、マリリンさん(涙)。大丈夫です、お嬢はんはここ数年でもトップクラスの歌唱力を持っています。
  きっとプロになれるでしょう。いや、このチョン・スンウォンが必ずやプロにさせてみせます!」
テヨン/おとん「せ、先生!(歓喜)」
ドワン「ただ、ルックス的にはずいぶん絞らなくてはいけないでしょうが」
テヨン「げ…」
おとん「それは安心してください。娘は嫁にそっくりですさかい、もっと成長すれば大丈夫です」
ドワン「はぁ。奥さんはそんなに美人でいらっしゃる?」
おとん「そうなんですわ。大学時代に一目で惚れましてね。それこそ『ラブレイン』のキム・ユニのように清楚で美しく…」
テヨン「未来の話はもおええがな!」


ナレーション「そんな訳で、テヨンの歌手への第一歩が始まったのだった」







※テヨンの父親は実際に学生時代アマチュアバンドをやっていて、家庭のためにプロへの道を諦めている。
 娘が歌手になると言い出したときは非常に喜び、大きな犠牲を厭わなかった。
 後にテヨンはインタビューに答えて「父親の夢を代わりに叶えることが出来て嬉しい」と語っている。
 テヨンがスターライトアカデミーに入学した年が02年なのか03年なのか、現時点では不明。
 入学に際しては、当時の先生の回想が残っている。
 「一番記憶に残る学生は少女時代テヨンです。中学校2年生の時、パパとともに来ました。
 地方出身でとても幼くて、お父さんが一緒に来ました。
 テヨンのお父さんは芸能人や歌手になるのは大変で、日曜日ごとにソウルへ来るのもとても大変だから、
 テヨンに基本資質がなければあきらめるように説得してくださいと言いました。
 それで”それではお父さん私どもが娘さんの歌を聞いて見ます”と言ったんです。
 テヨンの歌は、(プロになった)今ほどは上手ではなかったけど、音自体が一応きれいでした。
 これから努力すれば良い歌手になることができるという感じがありました」
 「テヨンイに訊いてみたら、自分ひとりでパソコンにあわせて歌って練習すると言うんですよ。
 まだ歳が幼くて演習をどうすれば良いかも分からないようでしたが、
 熱心に練習する気があるかと訊いたら、熱心にすると答えました。
 それでお父さんに ”通わせるのに苦労するとしても、お嬢さんがこんなに歌が好きならば、
 ここで私が入学を拒んでも、自ら歌手を目指して努力するつもりのようです。
 お嬢さんの瞳が輝いているし、音が良いから一年でも半年でも演習させて見てください”と言ったんです。
 それでお父さんが日曜日ごとにソウルまで子供を連れて来て、授業が終わるまで待って夕方に連れて帰るようになりました。
 そのように一年の間苦労をたくさんしました」
 ドワン氏はテヨンのアカデミー最後の期の先生だったと言うから、このインタビューに答えているのは別の教官だろうと思う。
 が、いずれにしろ、アカデミーの面接に来た幼いテヨンが、教官に特別な印象を与えたことは間違いないようだ。



マルコシアス・バンプ…かつてイカ天「たま」と死闘を繰り広げた伝説のグラムバンド
     マルコシアス・バンプ『バラが好き』


※ゴールデンハッピー…
    http://mediacom-japan.com/karaoke-ppp-1000.html


※『恋のマジックポーション』…
     すかんち『恋のマジックポーション』(1991)